
最近、阿蘇の話題が出たので、
そういえば、阿蘇ってどんな場所だったかな?
と思い、色々調べる中で、
面白いことを発見したので、記事にしてみました!
もしかしたら、阿蘇神社はカルデラ湖に浮かぶ弁天島だった!?
これが事実だ!というつもりはありませんし、
そんなことだったら面白いね!
という感じで見ていただけたらと思います。
こんにちは!髙杉多希です。
訪問してくれてありがとうございます。
雑穀と野菜で作る家庭料理教室 たきさんちを主宰したり、
畑で雑穀や野菜を育てたりして、
Instagramで情報発信をしたりしています。
「たきちゃん」「たきさん」と名前で呼んでください♪
なぜ急に阿蘇神社?かというと、
未来食創始者・大谷ゆみこさんが、
阿蘇で講演会を行うと聞いて、
「そういえば阿蘇って、
高校の修学旅行で行ったけど、どんな場所だろうなぁ?」
と思ったから。
開催される講演会はコチラ↓↓↓
この講演会の前の日は、
宇宙大全フォーラムin阿蘇が開催されます。
ゼウ氏トランスチャネラー優花さんと、
「水の記憶」の故・江本勝の遺志を継ぎ、
日本並びに世界中へ波動技術、水の結晶写真の教えを広める事をミッションとしてる
㈱I.H.M代表取締役・江本 博正さんとの対談があります。
で、なんで阿蘇神社なんだろう?
宇宙大全フォーラムのLPには、
「阿蘇の地下にある地下水が世界中に広がっているからです。」
とあるけれども、
そもそも阿蘇神社って、どんな所なんだろう?
と思って、最初にのぞいたのが、「国土地理院地図」。

う~ん、ただの等高線じゃ、全く分かりませんね。
ここは、やっぱり高低差!
国土地理院地図の色別標高図を使って、アソんでいきます!
まずは、水位の加減を海抜500mに設定。
こんな水位の訳ない!と思われるかもしれませんが、
こちらは阿蘇ペディアさんの記事を参考にしています。
~引用~
「火砕流噴火とその後の陥没によってできた阿蘇カルデラの底は、
海抜マイナス300~600メートルほどの深さがありました。
水がたまって湖ができた湖面の高さは海抜500メートル位のところにあったと推定され、
今日のカルデラ床の高さとほぼ同じくらいだったと考えられます。
(中略)
一方、北側では弥生時代の船の櫂などが出土していることなどから
ごく最近まで一部水域が残っていたことは確かで、
花粉分析の結果などから、
少なくとも6000年前くらいまでは湖が残存していたと考えられます。」
そしてこれを、地図に反映すると...
かつて阿蘇がカルデラであった、ということを彷彿とさせる地図になりました!

カルデラとは、
噴火によりマグマが無くなった地下の空洞が崩落し、
地面が陥没した場所のこと。
阿蘇の場合は、陥没後にも噴火を繰り返したので、
中央にも山がありますね。
約30万年前から9万年前にかけて4回の巨大噴火が繰り返され、カルデラが形成。
カルデラ形成後に雨水がたまり、湖が形成。
周囲の山から土砂が溜まり、水の推移が低くなっていくとともに、
西外輪山の立野というあたり約7万3000年以前に崩壊したと推定されるそう。
この西の端の切れ込み部が断層により決壊し、
湖水が流れ出て、現在のような平野になったと思われます。
太い点線が以前から分かっていた断層。
太い黒い線は、熊本地震の時に分かった断層。

阿蘇山は有史以降も噴火を繰り返し、現在も活発に活動しています.。
水の重さというのは相当なので、
この断層でちょっと脆くなっていた地盤には、
水圧に耐えられなかった、ということなのでしょうね。
とはいえ、6000年前くらいまでは湖があったとされるということで、
一気にドバー!っと水が抜けた訳ではないみたい。
それだったら、湖の下の地域が、
とんでもない被害になっていたでしょうから、
少しずつ決壊し、少しずつ水が引けたと考えた方が良いかもしれません。
では、湖があった当時の阿蘇神社の場所は、
どうなっているのでしょうか?

おぉ!海抜500mだと、阿蘇神社が水没していません!
やはり、それくらいの水位があったと思われます。
しかし、これだけだったら面白くないですよね~^^
もっと、この周辺の高低差から、
なぜ、ここが阿蘇神社であったのか?を導き出したい!
そこで、もっと細かく高低差を変えてアソんでいましたら、
見えました!

水位を513.5mまで上げたら、
阿蘇神社の境内、しかも神社の部分だけハッキリと!
水から浮かびました!!
その当時、ここが弁天島のような場所だったと思われます✨
さらに、阿蘇神社前の横参道は、
阿蘇山へと誘うように、谷あいになっていることも伺えますね。
つまり、舟で阿蘇山に向かった時に、
一番の先にあるのが阿蘇神社だったことに。
阿蘇神社の西側は、少し切り立っているので、
東側から入るのが、島の形としても妥当です。
舟での通り道が、そのまま横参道になったと思われます。
では、その阿蘇神社に来るのは、どう言う人だったのか?
これの答えが、阿蘇カルデラの北、国造神社ではないでしょうか?
同じ水位の際の、国造神社周辺です。

国造神社は、阿蘇神社よりも歴史が古く、
しかも、阿蘇神社がカルデラ湖に浮かんでいた島だったとしても、
この地域は、まったく水没しない高さだった場所。
そこに、阿蘇神社の元宮があり。
隣に巨石古墳があり。
隣に阿蘇神社同様に風宮神社があり。
これはもう、関係を疑ってください、と匂わせてるとしか思えません。
そして、国造神社と、阿蘇で一番高い高岳を結ぶと、その途中に阿蘇神社!
(青い丸の3点を、オレンジの線で結んでいます。)

言ってみれば、阿蘇神社が横参道なのは、
国造神社から阿蘇の高岳に行くための道を塞がない、
ということでもあるわけで。
阿蘇神社は、阿蘇山をお祀りしているので、
火の神様と思っていましたが、
火伏の神なのであれば、
むしろ水の神様をお祀りしているとも考えられます。
それならば、阿蘇神社が弁天様だったとしても、何の不思議もない!
と、一人で気分スッキリしております(笑)。
ということで、今回書いた記事は、
私が趣味として、国土地理院地図で遊んだ結果なので、
これが事実だ!というつもりはありませんし、
そんなことだったら面白いね!
という感じで見ていただけたらと思います。
でも、この考察で、
「なぜ今回のイベントが阿蘇で行われるのか?」
ということの意味が、少し分かったような気がしたら幸いです。
ピンと来た方はぜひ行ってくださいね!
こんな記事を書いてますが、
本業はつぶつぶ料理教室です!
はじめましての方は、体験レッスンでお待ちしております♪
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