先日購入した「日本農書全集1」。
そこに載っている「耕作噺」に記されていた一文を読んだ時、
あれ?と思いました。
そして、調べるうちに気が付きました。
天明の飢饉は、予測されていたことで、
防ぐことができたかもしれないことを。
※画像はChatGPT産。
こんにちは!髙杉多希です。
訪問してくれてありがとうございます。
雑穀と野菜で作る家庭料理教室 たきさんちを主宰したり、
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江戸時代の農書「耕作噺」。。
1776年、津軽の篤農家・中村喜時が記したものです。
「日本農書全集」では、それを現代語訳しています。
その中に、こんなことが書かれていました。
収穫量が多い晩生種の稲を植えることで、
夏の天候不順で出穂が遅れ、
身代を潰した農家がたくさんある。
津軽地域は北国なので、春が遅く、冬が早いため、
早生品種も植えないと、登熟する前に冬になり、
米が収穫できないということがあった。
「津軽の気候風土では、早稲か中稲を作付けすることが肝要である。」
「早稲は熟期が早いから、ウンカの発生があっても抵抗力が高い」
収量が多いという理由だけで晩生種を選ぶ農家が増え、
春が遅く、冬が早い北国の気候を軽視する傾向があった——。
そのことを知り、もしかして...と思い、
書かれた年代を調べてみました。
安永5年は西暦で1776年。
天明は西暦1781年から1789年まで。
「耕作噺」に記されていたのは、天明の大飢饉の“予兆” でした。
そのことに気付き、ChatGPTと調べながら、
前後関係などを調べてみました。
■ 天明の大飢饉は、自然だけではなく「偏り」から生まれた
1780年代、
東北を中心に冷夏・長雨・火山噴火が重なり、
広い範囲で稲が実らなくなりました。
けれど、被害を深刻化させたのは、
自然現象だけではありません。
天明の前から、農村には、
構造的な弱さが積み重なっていました。
・収量重視で晩生種に偏り、気候適応力が低下
収量は少なくても確実に収穫できる
早稲・中稲を作付けする、という“地域の知恵”の軽視
・米中心の年貢や市場価値の構造
新田開発も水稲が主となり、
雑穀は“補助的な作物”として扱われる傾向が強まっていた
その結果、冷害という気候ショックに対して
地域全体の“食の安全網”が弱くなっていた
飢饉とは、ある日突然起こるものではなく、
積み重なった“偏り”が、自然の一撃で破局する現象 なのだと気づかされます。
■ 現代の日本も、「逆方向の危機」に直面している
天明の時代は冷害でしたが、
今の日本が向き合っているのはその逆、高温障害 です。
米の品質低下(白未熟粒)
果樹の着色不良や風味の変化
海水温の上昇で水産資源が移動
雑穀でさえ、高温で受粉障害が起こることが増えている
さらに、
3.11の大震災、毎年の大雨・洪水、度重なる地震。
日本列島は、安定した時代よりもむしろ、
大きな揺らぎの渦中にいる と感じます。
食のあり方が問われるのは、
まさにこういう時代にこそです。
■ 私が未来食に惹かれた理由
——「遠くから持ってこなくても、大地のもてなしで生きられる」と知ったから
未来食に出会ってから、私の中で大きく変わったものがあります。
それは、
「食べ物が、世界とのつながりをつくっている」
という実感でした。
雑穀や野菜、発酵食品は、
私たちの足元の大地にすでに備わっていた宝物です。
未来食を実践してみると、
遠い国の資源に頼らなくてもいい
大地が与えるもので十分豊かに暮らせる
雑穀は保存性が高く、気候変動にも比較的強い
手料理で体を整えられるという安心感が得られる
こうした気づきが、静かに、でも確実に積み重なっていきました。
そして思ったのです。
大地のめぐみに沿って生きることこそ、
危機の時代を生き抜く“知恵”ではないか。
肉食に依存した食生活は、
大量の穀物やエネルギーを消費し、
持続性の低い仕組みに依存せざるをえません。
その一方で、
雑穀と野菜を手料理する“和のビーガン”という食の形は、
土地と気候に寄り添いながら、
昔の教訓を生かし、今の危機を乗り越える方法になり得る。
私はそう感じています。
■ 大変な時代を生きるために——まず「からだ」から
未来食を続けると、
体が温まり、軽くなり、よく動き、よく眠れます。
それは単なる健康効果ではなく、
変化の激しい時代をしなやかに生き抜く力 だと思っています。
心が落ち着き、
判断がぶれにくくなり、
人と協力しやすくなる。
こうした力が、
これからの時代にはとても大切です。
食を整えることは、
未来をつくることと同じ。
ひとりの小さな選択が、
周りの人の選択を支え、
地域の未来の土台になります。
■ 結び
歴史は、ただ昔の出来事を語っているのではありません。
「偏りすぎると、社会は脆くなる」
というメッセージを、何度も何度も残してくれています。
ならば私たちは、
小さな選択から、多様性を取り戻し、
大地のめぐみに寄り添う生き方へ戻っていけばいい。
遠くから持ってこなくても、
足元の大地は、必要なものをちゃんとくれる。
この確かさを思い出すだけで、
未来への不安は少しずつ希望に変わっていく——
私はそう信じています。

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